おしらせ

2020/07/09 21:45

2005年10月3日の記事です。

おみね」というのは、大瀧神社の奥の院のことで、
写真左から山岸大祐さん、瀧英晃さん、滝輝夫さん、小畑明弘さん、三田村士郎さんです。

地元の紙業界の有志が一団となって“おみね”周辺の散策に行ってきました。
今回の散策のきっかけは、私が前年におみねに行った時の写真などをご覧になった関係諸氏が、

「おみねの水飲み場ってこんなに汚かったっけ?!」

という危機感を抱いたからに他なりません。
日曜日の朝6時、地元

越前市

(ご報告が遅れまして恐縮ですが、2005年10月1日今立町と武生市が合併して越前市となりました)
で活躍される紙関連業者ご有志の方々が、
大瀧神社にほど近くに集結!

眠い目をこすりながら、かなり険しい山登りに挑んだ訳であります。

やっぱり40代以降のメンバーには、
この道のりは相当こたえるものがあったようでもあります。
途中2回ほど水分補給をかねた休憩をとりつつ、なんとか

奥の院

付近に到着!40分ぐらいかかりました。

道中にあった「千年の森冒険隊」の立て看板。

チョットだけでも減量したい私めは

ジャージ2枚重ねの長靴履き

で臨みまして、かなり汗だくになれました。

物議をかもした水飲み場を覗いてみますと…、

意外に綺麗にお手入れされてるっぽかったです。
どうも大瀧神社の神主さまが週に2回ほどここまでやってきて、いろいろと管理をされているとか。
記念にたまたま持参した東京国立博物館で購入した、

静海波(せいかいは)てぬぐい

を添えてパシャリ!

カラフルな手ぬぐいが無造作にかけられたお手拭きスポットにも

静海波(せいかいは)てぬぐいを添えてみたの図。
ここでプチ告白なんですが、私、
静海波っていう模様が妙に好き


なんでございます。(↑代表的な静海波の模様)

ま、それはさておき、この“おみね”の歴史的な背景や、現在の位置づけや今後の管理のあるべき方向性などを

奥の院の目の前にある“拝殿”付近でビール片手にざっくばらんに大談義。
世代を超えて、意見や歴史認識の擦り合わせがなにげに出来てる感じがしました。

早朝ビール効果でご有志各位、舌の回転がすこぶる滑らか。
(この時、時計の針は午前7時あたりを指してましたです)
拝殿付近に捨て置かれたペットボトルなどの燃えないゴミを掃除する、若手有志!

素敵だぜ!君たちー!!

でこの後一同は、奥の院のさらに上にある、地元で

大杉“さん”

と呼ばれる霊験あらたかな場所へおもむいたわけです。
それにしても、ありがたみのあるものを人格化して呼んでみたりするのって不思議ですよね〜。

例えば

お粥“さん”

とか…。呼んだりしませんか?
あんまり関係なかったですね、失礼しました。

ほんとうに巨大な木で、

なんとも言えない厳かな空気が、周囲を包んでいました。

で、みんな揃って記念撮影しました。

パシャリ!

大瀧城なるものがその昔ここに建っていたらしいです。

この後、我々は来た道をもどるのではなく、

岩本側から

降りることにしたわけです。
(おみねへ登るルートは大滝(おおたき)からだけでなく、定友(さだとも)や、岩本(いわもと)からなど複数あるのです)
で、この岩本ルートがまた手強かったわけでありまして。

川口探検隊ばりに道無き道を行く感じ…。
なんだかんだ言って、結構、山奥ですから。
ふと小脇に目をやると
毒キノコみたいなのがあったりとか、

毒イチゴっぽいのがぶらさがっていたりとか。
そして、木々が開けたところから、わが社がぼんやりと見えたりしました。
(↑中央付近に我が社の建物が見えます)

ほんとになんとか降りられましたが、少なくとも私には、この道を登るのは

無理である

と痛感しました。

↑やっとの思いでふもとの広場に辿り着いたわれわれ。
今回参加された紙関連業者ご有志の方々は、通称、

あきない会

という名前で、今後も紙に関する見聞を広め、鋭意いろんな活動を展開していく所存であります。どうぞよろしくお願いいたします。


(*2020年7月現在、「あきない会」は目立った活動を行ってはおりませんが、山岸大祐さんは山岸和紙店の社長になり、瀧英晃さんはテオ・ヤンセンさんとのコラボレーションなどで有名になり、小畑明弘さんは恐竜のペーパークラフトを生産し、三田村士郎さんはご子息と一緒に越前和紙を盛り上げ、滝輝夫さんと私はなんとか元気に瀧株式会社を切り盛りしています。)