今立で静かに暮らす和紙の原点

九代目・岩野 市兵衛 さん

国指定重要無形文化財

九代目・岩野 市兵衛 さん
いわの いちべえ

住所:福井県越前市大滝町31-7
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電話番号:0778-42-0605
Youtube:
→越前和紙 : 人間国宝 九代目・岩野市兵衛

国指定重要無形文化財保持者(俗に言うところの人間国宝)の、九代目・岩野市兵衛(いわのいちべえ)氏。意外なほど肩の力の抜けた愛嬌のある御仁ですが、紙に向かう時、周囲を寄せ付けない雰囲気が漂っているような気がするのはあくまで私見であります。

越前生漉奉書は木版画用紙として300回の重ね刷りに耐えるとうたわれるほどの丈夫さを誇っており、先代の八代目・市兵衛氏の漉いた奉書は、広く内外の版画家から支持され、あのパブロ・ピカソも版画用紙として愛用していたそうです。

2004年7月1日〜7月9日の間、国指定重要無形文化財保持者(俗に言うところの人間国宝)の岩野市兵衛様のご自宅にお伺いしました。意外なほど肩の力の抜けた愛嬌のある御仁ですが、紙に向かう時、周囲を寄せ付けない雰囲気が漂っているような気がするのはあくまで私見であります。人間国宝として生きる生活がちょっとだけ見えるかも?

名人やって言われるけど、そんなことは無いんでね…。

ども−−!!よろしくお願いします。作業中にご迷惑やとは思うんですが、写真を撮ったりあいまにお話を聞かせてもらったりしていいスか?!

いいスか?!も何も、もうしてるでね〜かの!…ふふふ。

このごろ、しな〜っと私の写真を撮って、いや、写真を撮ること自体はかまわんのですけど、アマチュアカメラマンていう感じの人なんかの〜う、コンクールみたいなのに無断で写真を出してまいなさるんやわ。いっぺん大阪のいとこから急に電話がかかってきて、駅かどこかは忘れたんですけど「あんたの写真だらけになってるざ!」って言うてるんやわ。

私はそんなこと聞いてないしの〜、びっくりしてのう。なんかそういうふうなんやわ。結構恥ずかしがりなので、嫌やがね、どうしようもないですがね。「ほやさけ」(方言で「だから」の意)、コンクールみたいなのに出すっていう写真の撮影は断わってるんですわ。

はぁ〜。ほんならホームページに写真のせるのもアカンのですかね〜?

いやそれはアカンも何も、もうそうやってホームページに私の写真をのせてもらってしもてるとこがあるでね、結構ホームページとか知ってるんやざこれでも。ほやでそれはいいですよ。

ちゃぷん、ちゃぷん、ちゃぷん…。(静かに桁をゆすりながら紙を漉く。)

名人や名人やって言われるけど、そんなことは無いんでね…。

「人間国宝」になれたのもおやじが“ちょっと頑張りすぎた”ってだけで

「人間国宝」になれたのも、私の親父が“ちょっと頑張りすぎた”ってだけで、いや八代目市兵衛のぼくの父親が、人間国宝をとったんですわ。で、その父親が死んで、まあぼくがその名前を継いでやってった方が、うちも商売ですから色々やりやすいだろうという話になりまして…、

岩野さんの元々のお名前って何だったんですか?

ぼくは「市郎」(いちろう)だったんです。いや−、名前を変えるのも結構大変でね、裁判所やら何やらに行って、たしか何年かかかったんでなかったかの。同じ名前で字も同じでしょ、なんか色々ややこしいみたいで大変やったんですわね。

はぁ〜…。(豪快なまでの“肩の力の抜けっぷり”に拍子抜け…。)

あの−、おそるおそる聞くんですけど、岩野平三郎さん(県無形文化財)と比べられたりすることってあるんですか?;

ん?!う−−ん。いや、平三郎さんとこは大きいですし…、色々な技があって、色んな種類の紙を漉いてなはって、「しょっこさん」(ひらたく言えば従業員さん)もたくさんいなるでしょう。うちみたいに家族でやってるのと規模が違うでないですか。なので比較されると言ってもあまりピンと来んのですわ。

へー、そういうもんですかね。

それと、一つのことだけをず〜ッとやってるって言う風な、うちなんか、生漉(きずき)の奉書ばっかり漉いてるでしょ、そういうなんが人間国宝にはなりやすいみたいですわ。

もともとわが家は、古くさかのぼれば平三郎さんところからの分家ですから。

あ、そうなんですか。

で、うちの立地がここらで一番、上(かみ、川の上流の意)やったもので昔からの紙漉きのやり方をするのに向いてたんやと思います。

原料に薬品をほとんど使ってないでしょ、ほやから続けて休めない

あの〜、岩野さんすごく元気な感じなんですけど、一体おいくつなんですか?

ぼくは昭和8年9月28日生まれで今年71歳です。

小学校5年生のとき終戦になりまして、父の8代目市兵衛はシベリアに抑留されてたんですが、昭和22年に帰って来まして、そしてしばらくして朝鮮動乱、いわゆる朝鮮戦争になったんです。その時の進駐軍に日本のみやげとして浮世絵がものすごく好まれまして、昭和25〜26年あたりは、うちもほんっとに忙しくてかなわんかったんです。実はぼくは版画の彫刻師になりたかったんです。

といっても手先が器用とかそういうわけでなくて、刃物を研ぐのがなぜだか好きでね、今でもうちの包丁やらなんやらはぼくが研いでるんですわ。

は〜〜。でもなんと言うか、生まれた時からずっと紙を漉くってことで家を継ぐのが決まってらしたわけなんでしょう?やっぱりそういうことに対するわだかまりみたいなのがあったんですか?

いやね、そりゃ今の時代だったら“東京行ってどうのこうの”って考えたんかもしれんけど、とにかくその時は家の紙漉きが忙しくてね、必死に家の仕事してたらいつの間にか年をとって、そうこうしてるうちに結婚して気がついたら父親が死んで、人間国宝になってそれで今に至るというそんな感じですわ…。

ところで、市兵衛さんお休みされる日とかってあるんですか?

日曜日だけは休みます。

うちは原料に薬品をほとんど使ってないでしょ、ほやから続けて休みをやったりすると紙の原料がすぐ「傷んで」きてしまうんですわ。

なるほど、とっとと次の工程へ原料を持っていかないでいるといい紙が出来んということですね。で、淡々とその週に6日の工程のサイクルを繰り返してく感じですね…。は〜〜。

だいたいやることは決まってしまいますね。あと、こういうことやってると色々なお客さんが見えなはりますしね〜。ご飯食べてる最中でも、ふらっと来なはる人もいて、知らん顔しとくわけにもいかんので、紙漉きのこととか一通り説明はするようにしてるんです。

誰かみたいに、話を“ほじくり出そう、ほじくり出そう”とする人も来なったりするし…。

(お、おれか!?)スミマシェン、へへへ。

ははは。

あの〜、岩野さん男の子のお孫さんがいらっしゃるって聞いてるんですけど、11代目がもうすでに確定してるって感じですよね〜?

あ、いや〜、どうも息子らは孫に無理に紙漉きをやらせる気はあんまりないみたいやね。ぼくもその方がいいような気もするしの〜。なんちゅうんか、世の流れって言うんですかね〜。確かに我々は人間国宝って看板でやってて売る紙の値段は高いと思います。

でも、原料やらはどっかから買ってるんでね。その原料がそもそも高いんでね。また、ややこしい原料が多いですから確保するのも難しくなってくると思いますし。実際、今はなんとかそこそこ家族は食べていけてるんですけどね。これからは分からんでないですか?!

ん〜〜。僕なんかは安直なことは言えないですし、言いたくないんですが、今日ここに寄せてもらって思ってるんですけど、“す〜ごくかけがえがないぞ、これは”って気がしてまして…。

…日本人っていうよりも、もう人として「なくしてはいけないものがここにある」って、ものすごく強く感じるんです。ちょっと大げさですけど…。

それが岩野さんなのか、岩野さんの漉く紙とかやり方なのか、あるいは岩野家なのか、それともひっくるめて全部なのかはよく分からないんですが、とてもとても大切な気がします。

「うら」もそこまで言うてもらえると嬉しいけどのう…。

だいぶ長居してしまったんで、僕、帰りますわ。また、そのうちヒョコっとお邪魔させてもらいます。

あ、そうですか。ほんなら、またいつでも来てください。あっ、「にがうり」でも持って帰っておくんねの。

ゴーヤですね。そしたら、遠慮なくもらって帰ります。ども、本当にいろいろありがとうございました。

いえいえ、また来てください。

本日は、ありがとうございました。